うるう年あれこれ

2024年は閏年(うるうどし)ですね。平年にはない2月29日があり、1年が366日になります。

うるう年といえば4年に一度、オリンピックイヤーでもあり、アメリカ大統領選挙の年でもある、と覚えている方も多いのではないでしょうか。

「閏」という漢字には、余り・余分という意味があり、日数や月数が平年より多い状態を示すようになりました。

日本書紀では「潤」=うるおうという文字があてられていて、「うるう」という読み方はうるおうから来ているという説もあります。

うるう年は4年に1回ではない?

地球が太陽の周りを1周する期間が1年、つまり365日。

しかし、実際には地球が太陽をひとまわりするには365日と6時間弱かかります。

つまり、4年経てば約1日のずれが生じ、それが積み重なるうちに暦と季節がだんだん合わなくなってきます。

このずれを解消するために4年に一度、2月29日を足すのがうるう年です。

ただし、6時間「弱」ということは、4年に一度の1日追加でもぴったりと合うわけではありません。

そこで、現在多くの国で採用されているグレゴリオ暦では次のような規則でうるう年を設定しています。

・西暦年が4で割り切れる年は原則としてうるう年(例:2024年)

・ただし、西暦年が100で割り切れる年は原則として平年(例:1900年)

・ただし、西暦年が400で割り切れる年はうるう年(例:2000年)

この規則に従うと、うるう年は400年間に97回となり、地球の動きとカレンダーとがほぼ一致するようになります。

つまり、実はうるう年は4年に一度ではないのです。

このグレゴリオ暦は、ローマ教皇グレゴリウス13世により1582年に制定されました。

余談ですが、グレゴリウス13世は、日本の天正遣欧少年使節が謁見した教皇です。

まだ日本では戦国時代、そんな昔にこれほど正確な暦が作られたとは驚きですね。

1年が13ヶ月あった時代も

日本では明治維新の後まで太陰暦(旧暦)を使っていました。

太陰暦は月の満ち欠けを基準にしているので、1ヶ月は29~30日。

これが12ヶ月で1年とすると、太陽暦よりも暦と季節のずれはさらに大きくなります。

そこで、19年に7回ほどは「うるう月」を足して1年を13ヶ月にしていました。

一月の後に「閏一月」が入るという具合です。

うるう月は、季節のずれが大きくなったところで挿入されました。

しかし、うるう月をどこに加えるかは地域によって違っていた場合もあり、同じ日本国内でありながら、暦が一致しない現象も起きていたそうです。

太陰暦のうるうは複雑だったのですね。

なぜ2月に1日足される?

現代の暦は先に出てきたグレゴリウス暦ですが、その前にはユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が制定したユリウス暦、さらに遡ると古代ローマのヌマ暦、そして紀元前8世紀頃のローマで使われていたロムルス暦にたどり着きます。

ロムルス暦では1年には10の月しかなく、冬の間は暦が使われない空白期間。

農作業がない時期に暦は不要ということだったのでしょうか。

1年を12ヶ月としたのはヌマ暦からだそうです。

ヌマ暦で足されたのが今で言う1月と2月ですが、当時は2月の時期が一年の最後にあたりました。

ヌマ暦の1年は355日、しかし各月の日数は縁起が良いとされた29日または31日だったため、帳尻が合いません。

そこで、最後の月である2月に日数調整をして2月が短くなりました。

うるう月を足すのも、年末である2月でした。

ヌマ暦はやがて、うるう月の調整がうまくいかなくなってしまいました。

そこで1年を365日とするユリウス暦が開発され、さらにグレゴリウス暦へと改良されていったのです。

それでも、2月が短いこと、季節とのずれを調整するうるう日をかつての年末(2月)に足す習慣はそのまま引き継がれました。

2月だけちょっと特別扱いなのは、紀元前のヨーロッパの歴史に始まることだったのです。

参考:国立天文台「よくある質問」3-8

https://www.nao.ac.jp/faq/a0308.html

2月29日が誕生日

当たり前ですが、2月29日生まれの人でも4年に一度しか年を取らないわけではありません。

日本の法律では、誕生日の前日24時に年齢が一つ増えると定められています。

つまり、2月29日生まれの人は毎年2月28日が終わる瞬間に年を取るのです。

明治35年(1902年)に公布・施行された「年齢計算ニ関スル法律」という法律ですが、よくできていますね。

まわりに2月29日生まれの方はいらっしゃいますか?

かなり覚えられやすいお誕生日で、大変なような、うらやましいような印象ですね。

日付だけで生まれ年まで特定されるため、年齢のさばを読みづらいという笑い話も聞いたことがあります。

福山市出身の儒学者・菅茶山は1748年2月29日生まれです。

とはいえ、ご本人は自分がうるう年のうるう日生まれだとは知らなかったことでしょう。

当時の日本では旧暦が使われていましたので、誕生日の記録は延享5年2月2日となっています。