秋の月を見あげて

「I love you」を「月がきれいですね」と訳す──。

夏目漱石が英語教師だったころのエピソードとしてよく語られますが、実際には後世に作られたフィクションだと言われています。

それでも、この表現が多くの人の心をとらえるのは、秋の夜空に浮かぶ月の美しさを、愛の言葉として分かち合える日本人らしい感性をよく表しているからかもしれません。

実りの秋の月

日中は厳しい暑さが続いているものの、夜風には少しずつ涼しさが混じり、空気も澄んできました。

秋は、一年の中でも特に月が美しく見える時期とされています。

2025年9月8日には皆既月食がありました。

明け方の現象だったため、実際に見られた方は少なかったかもしれませんが、赤銅色に染まった「ブラッドムーン」の映像をニュースなどで目にした方も多いのではないでしょうか。

ブラッドムーンは見たままの色を表現した名称ですが、月の呼び名にはおもしろいものがいろいろあります。

アメリカ先住民の人々は、季節ごとに満月に名前をつけて暮らしに役立ててきました。

9月は「コーンムーン(トウモロコシの月)」。

そのほかにも、6月は「ストロベリームーン」、5月は「フラワームーン」といった具合で、自然や収穫と密接に結びついた呼び名が残っています。

人工衛星もカレンダーもない時代、月は暦や農耕の目安として欠かせない存在だったのです。

日本でも同じように、秋の月は収穫と結びつけられ、特別な名前が与えられてきました。

「芋名月」や「栗名月」という呼び方には、里芋や栗の実りに感謝し、これからの豊作を祈る意味が込められています。

収穫物を月に供える風習は、人々の暮らしと月がいかに密接だったかを物語っています。

平安貴族たちのお月見事情

「中秋の名月」と呼ばれる十五夜のお月見は、中国から伝わった風習です。

旧暦8月15日がその日にあたり、2025年の十五夜は10月6日となります。

平安時代の貴族たちは、大陸から伝わった月見の風習を取り入れて、池に舟を浮かべて酒宴を開いたり、詩歌や管弦を楽しんだりしたと伝えられています。

京都には観月の名所が数多くあり、大覚寺や渡月橋、観月橋など、いまも「月」と縁深い地名や景観が残っています。

桂離宮は、17世紀に建てられた月見のための意匠が随所に見られる建物として有名です。

中秋の名月を美しい庭とともに眺められるよう設計された月見台や、庭園をめぐる池など、月を楽しむための工夫が凝らされており、当時の人々の豊かな感性が感じられます。

江戸時代に入ると、お月見は庶民の楽しみへと広がりました。

すすきを飾り、月見団子を供える風習はこのころ定着したと言われています。

団子は里芋を模したものともされ、月と収穫を結びつける文化が根づいていたことがしのばれます。

食べる「月見」

現代では、家で団子とすすきを供える習慣は少なくなりましたが、「月見」という言葉は思いのほか身近に残っています。

その代表が、秋になると登場する「月見メニュー」。

ファストフードや飲食チェーンがこぞって「月見バーガー」や「月見スイーツ」を販売するのを、毎年楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。

昔ながらの月見そば・月見うどんは、卵を「月」に見立てたシンプルな一品ですが、現代の月見メニューはさらに自由でバラエティに富んでいます。

卵はもちろんのこと、栗やさつまいも、チーズやパンケーキまで、さまざまな食材で「月」が表現され、その創意工夫には感心するばかりです。

食を通じて月を楽しむのは現代版の風流といえるかもしれませんね。

昔も今も、人々は月に魅せられ、その輝きに季節や暮らしの意味を重ねてきました。

星が見えない都会の明るい夜空にも、月は美しく昇ります。仕事帰りなど、ちょっと空を見上げてみませんか。

夜空に浮かぶ月を眺めながら、ほんのひととき秋の風情を感じてみるのも良いものですよ。