東京2020パラリンピックの参加者は約4400人。
女子選手の参加も過去最多を記録しました。
デルタ株が猛威をふるう中での開催には複雑な感情も湧きますが、アスリートたちの活躍が胸を打つこともまた事実です。
パラアスリートが活躍できるのは、文化が成熟している証しのようにも思われます。
パラリンピックのなりたち
かつて、障害のある人たちにとっての運動はリハビリテーションを目的とするものでした。
やがて障害のない人たちと同様に、競技や楽しみとしてのスポーツも行われるようになりました。
障害の有無にかかわらず、体を動かすのは楽しいこと。
誰でもスポーツに取り組めるようになってきたのは喜ばしいことですね。
障害者のためのスポーツ大会としてパラリンピックの前身となったのは、第二次世界大戦後の1948年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で開かれたアーチェリー競技会です。
戦争で傷ついた軍人たちのリハビリの一環として、医師のルードウィッヒ・グッドマン卿が提唱して始まったもので、参加選手はすべて病院の入院患者であり、車いす使用者でした。
このアーチェリー競技会がやがて国際大会となり、パラリンピックへと発展していきました。
現在、第1回パラリンピックと位置づけられているのは、1960年にローマで行われた第9回国際ストーク・マンデビル競技大会です。
オリンピックとの関わり
第1回パラリンピックはその年のオリンピックと同じ開催地で行われるというスタイルでしたが、1964年の第2回大会(オリンピックと同じく東京での開催)後はいったん途絶えてしまいました。
現在のように、オリンピックの後に続けてパラリンピックを開催する形に定まったのは1988年のソウル大会からです。
「パラリンピック」が正式名称となったのも、この大会からだということです。
前身であるストーク・マンデビル競技大会が車いす使用者を対象としているのに対し、パラリンピックは身体障害者(肢体不自由、脳性麻痺、視覚障害、知的障害)を対象としています。
ちなみに、聴覚障害者については、デフリンピックという国際競技会が1924年から開催されているため、パラリンピックには参加していません。
また、精神障害者には、スペシャルオリンピックスという国際競技会があります。
日本の障害者スポーツ
第2回パラリンピックが東京で開催されたとき、日本ではまだ障害者スポーツが一般的ではありませんでした。
それどころか、障害を持つ人が自力で外出することさえ難しかった時代です。
パラリンピックを目にした日本の車いす使用者たちは、世界との違いに愕然としたと言います。
それから約50年。日本のパラアスリートはいま、大活躍しています。
前回の2016年リオ大会では銀メダル10個、銅メダル14個。
東京2020では、大会初日に14歳の山田選手が競泳で銀メダルを獲得したのを皮切りに、次々と好結果を上げています。
もちろん、メダルだけがすべてではなく、過去最多の254名もの選手が全22競技に出場しているという状況そのものがすばらしいと思います。
健常者のアスリートに比べるとまだまだ支援体制が不足していますが、ようやく日本でも障害者スポーツが盛んになってきたと言えそうです。
感染防止に努めつつも…
競技の話題では明るい気持ちになりますが、東京2020パラリンピックのことを考えるときには、残念ながら新型コロナウイルスのことを切り離すことができません。
出場選手の中には、疾患を抱えながら競技に取り組んでいる方もいます。
症状によっては新型コロナウイルスの感染リスクが高くなることもあり、可能な限りの感染防止策がとられているということです。
東京2020パラリンピックも原則無観客ではありますが、「学校連携観戦プログラム」として、学校単位での子どもたちの観戦は実施されています。
子どもたちに観てほしい、選手側も観てもらいたいという気持ちはわかります。
しかし、デルタ株が爆発的に広がっている今の時期に、子どもたちの団体観戦を実施するのはリスクが大きすぎるように思われます。
辞退する自治体が大半で、実施する学校でも「希望者だけ」「検査を受けてから参加」などの条件を定めたところが多いようですが、通常授業にさえ支障をきたしている中での観戦は不思議で仕方がありません。
移動は主に貸し切りバスで、一般の方々とはほぼ接触しないとはいえ、学校内でクラスターができたりしないことを祈るばかりです。
できればテレビの前で、精一杯応援したいものですね。
参考
東京都オリンピック・パラリンピック準備局
https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/
日本パラリンピック委員会